2016.02.09
大好評、「肉ドリル」でお馴染み、松浦氏が教える、お家でお肉=イエニク 講座。
「肉焼きの常識」は生活環境に大きく左右される。例えば肉焼きの歴史も浅く、住居も庭も狭い現在の日本では、「外食×焼肉」がもっともスタンダードな肉焼きだろう。
だがこの10年ほどで日本にも「塊肉×低温調理」の概念はずいぶんと浸透した。大きな転換点は2006年にオープンした「カンテサンス」だろう。200℃前後のオーブンで肉を1分焼いて数分休ませるという工程を20数回繰り返す「3時間ロースト」の味わいなどが話題を呼び、またたく間に国内のトップレストランへと駆け上っていった。じわじわと内部温度を上げていく現代的なローストの技法には、肉をおいしくするためのさまざまな”魔法”がかけられている。
食べかたも進化した。これまで、ステーキハウスでなんとなく「ミディアムレア」とだけ注文していた肉好きは、内部温度にまで思いを馳せるようになった。55~65℃――だいたいレアからミディアムレアに相当するこの温度帯であれば、肉の繊維が必要以上にかたくなることはない。家で焼くなら最初は気弱過ぎるくらい慎重に、ことを進めたほうがいい。いったん肉に火を通してしまったら、後戻りはできないのだ。
「焼く」という加熱手法の醍醐味と言えば、まずは香ばしい焼き目のにおいだ。「焼き目」をつけ香気成分を生成することで、肉のうまさは膨らむ。第一回でも少し触れたが、糖とタンパク質(アミノ酸)などを加熱したときに生じる、「メイラード反応」で肉に香ばしさを加える。肉に含まれるアミノ酸の香りは、高熱が加わることで変わる。例えば、バリンは100℃ではライ麦パンのようなにおいだが、180℃だと刺激のあるチョコレートのような香気に変化する――。というように、さまざまなアミノ酸で温度によって香気成分の変化は生じ、その複雑な香りこそが焼き目のおいしさに直結している。
さらに「糖」を加熱したときの「カラメル化」の効果も期待できる。うまみのある食べ物を分析すると、苦味がカギになっていることが多い。苦味が加わることで、味わいは深みを増す。
そして「和牛香」と言われる「ラクトン類」がもっとも強く生成されるのは80℃だ。つまりステーキだろうとすき焼きだろうと、肉のどこかの部分をこの温度にしておくだけで牛肉、特に和牛のうまさは俄然際立ってくる。だからこそ、薄切り肉のすき焼きは「肉の赤さを残しつつ、焼き目のあるムラのある状態」が理想となるし、しゃぶしゃぶもピンク色を残して、引き上げるべきなのだ。ちなみにラクトン類は一度適切な温度まで加熱すれば、肉のなかに留まり、その後冷えても噛むと味が出てくるという。ご参考まで。
最近目につく「かんたんローストビーフ」などの家庭向けレシピには、60℃台をキープできる、炊飯器の保温モード+保存袋などを使った低温調理法もある。だが、個人的にはあまりおすすめしない。焼き目の香ばしさという肉らしい味わいに欠けるうえに、ラクトン類の生成も充分ではない。先に全体を加熱すると焼き目がつきづらくなるし、先に焼き目をつけてから加熱したところで、保存袋のなかで焼き目の香ばしさは失われてしまう。生肉からていねいに焼いたあの香ばしさこそが最上なのだ。だいたい、炊飯器にとっても、迷惑だ。肉を加熱している間、いちばん得意なはずの「炊飯」ができないではないか。
ステーキや肉のローストは焼きの経験を重ねたほうがいい。きちんと火に当てて、試行錯誤を繰り返しながら、自分の好みの加減を知る。肉の種類や熟成度にも左右されるが、一般には40℃台からかたくなってくる。とにかくまずは指やトングでさわって、焼き加減と弾力の関係を覚えておきたい。
ステーキならば強火のフライパンで両面を各10秒焼く。その後、温かい場所(フライパンの上に焼き網を渡すなど)で全体が均一な温度になるまで休ませる。あとは肉の厚さに応じて何度かこの工程を繰り返していけばいい。この方法ならリスクは最小限に押さえられる。塊肉ならば、全体がパンと張った状態がひとつの仕上がり目安になる。
焼きの手法は無限にあるのだが、大胆な焼き方は肉の扱いに慣れてからで十分だ。家庭のごちそうの象徴である肉で失敗すると、素材としての肉も、家族の笑顔も、取り戻すのは難しい。「極上」ではなく「いい感じ」を目指すことが、イエニクでは大切なのだ。次回は最終回「ゆっくり加熱。それだけで塊肉はおいしくやわらかくなる」。「加熱」と「休ませ」の関係について、もう少し掘り下げてみたい。
東京都武蔵野市生まれ。編集者・ライター。さまざまな「食」を「食べる」「つくる」「ひもとく」フードアクティビスト。調理の仕組みや科学、食文化史などを踏まえ、『dancyu』などの料理誌から一般誌、新聞、書籍、Webまで幅広く執筆、編集を行う。テレビ、ラジオなどでは食のトレンドやニュース解説も。近著の『家で肉食を極める! 肉バカ秘蔵レシピ 大人の肉ドリル』(マガジンハウス)ほか、自らも参加する調理ユニット「給食系男子」名義で企画・構成を手がけた『家メシ道場』『家呑み道場』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)はシリーズ10万部を突破。
ブログ「うまいものばか!」