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2016.04.05

【食ゼミ】ホルモンを巡るラビランス  その3

お手伝いハルコのホルモン学3回目です。

【食ゼミ】ホルモンを巡るラビランス  その3

もつ鍋は盛ったか?

先日、足利市へ仕事で行った帰りに北千住で途中下車しました。
ここに、「大はし」という尾酒屋があり、ここの「煮込み」は東京三大煮込みと呼ばれているのです。
三大煮込みは北千住の「大はし」、森下の「山利喜」、月島の「岸田屋」。これが東京三大煮込み。ここに立石の「宇ち多゛」と、門前仲町の「大坂屋」を加えた東京五大煮込みと言うらしいです。

「大はし」の煮込みは牛の牛すじなどを含めた色々な部位を、長年注ぎ足した大鍋の汁でじっくり煮込まれていて、汁をたっぷり吸った「肉豆腐」旨いのです。
江戸時代から、表では「肉食禁止」でしたが、裏では「薬喰い」という言い訳で綿々と肉は食べられていて、明治時代になり牛肉の需要が増えるのに従って、正肉以外の内臓が下町の辻売り煮込み屋や肉体労働者の滋養食として安価で提供されるようになっていたのです。
しかし、いわゆるグルメとは縁遠い食文化で、当時は表立って語られるものでは無かったのです。いまでこそ若い女性にも人気ですが、その辺を時間を遡って考えます。

 

内臓(ホルモン)歴史の文脈を見ていくと、当然もうひとつの流れに”焼肉”があります。
これは、回をあらためて書きますが、1960年代にそれまでの「朝鮮料理」に参加して店を営む人が増えてきたのです。その当時、半島の政治的な理由で「朝鮮料理」「韓国料理」の呼称でもめたそうです。その結果、妥協した名前が「焼肉」ということになったのです。
そして、1988年のソウルオリンピックを契機に、東京でも「焼肉」店は増加していくのです。
この頃は日本でも空前のグルメブームで、フレンチやその後“イタメシ”ブームと、外食産業はこの世の春を謳歌していました。しかし、やがてバブルが弾け、それまでの“イケイケ”から時代は”失われた20年”に突入していくのです。

そしてその時に突過に登場したのが「もつ鍋」だったのです。
1992年に東京に博多風のもつ鍋店がオープンすると、安くボリュームがあり、瞬く間に広がっていきました。どのくらいのブームだったかというと、「もつ鍋」が同年の新語・流行語大賞銅賞を受賞するくらいでした。
元々あった「煮込み」と「もつ鍋」は全然違うものですが、この「もつ鍋」ブームで、それまで、“オジさんのもの”だった食文化が若い女子達にも受け入れられた時代でした。
その象徴的な言葉は「オヤジギャル」で、これも1990年には流行語大賞で新語部門・銅賞を受賞しているのです。
漫画家の故、中尊寺ゆつ子のマンガ『スイート・スポット』からきた言葉で、年は若いがオヤジのような行動をする女性(ギャル)のことで、景気後退で、食へのハードルがどんどん下がって行ったのです。
高級なレストランも良いが、今まで、歯牙にもかけていない部位が実は美味しいというのに気がついたのでしょうが、フレンチやイタリアンでも実は食べられていたことに気が付いてなかったのではないでしょか。ただ、「もつ鍋」自体のブームは数年であっという間に下火になり、数々の店が閉店しましたが。

 

現在でも「もつ鍋」屋さんはそれなりに定着して残っています。
私も時々渋谷のもつ鍋屋さんへ行き(そこは、馬刺も出す)、山盛りのニラやキャベツをのっけた鍋を楽しんでいます。
そして、時代は「ホルモン焼」へ向かうのです。

 

 

(イラスト:後藤 晴彦)

お手伝いハルコ 後藤晴彦

お手伝いハルコ 後藤晴彦

出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。 お手伝いハルコのキャラクターで『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載。『包丁の使い方とカッティング』『街場の料理の鉄人』『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』など著書多数。2012年より故郷の岩手県の産業創造アドバイザーに就任。食アプリサイト「TERIYAKI」メンバー。ぐるなび「ippin」のキュレーターとしても活躍中。

http://otetudaiharuko.blogspot.jp/